たんぽぽ2

人類に実りをもたらす種

Posted on

 

 

真実に照らし合わせてみると、人間には3通りいます。

「噂」だけで判断する人

噂だけでは信じず、信頼できる「情報」筋を調べてから判断する人

現場、現物、本人に聞くなど「事実」に確かめてから判断する人

 

不思議なことに自ら情報を調べようとする人は少数派です。

あとは、皆、根も葉もない噂を信じてしまいます。

真実を知らない者がものを語るとどうなるでしょうか?

想像してみてください。

 

知らないから、憶測でものを言い、よけいややこしくなってしまいます。

情報には全て、「根拠」があるものです。

根拠のないものが噂で、確固とした証拠があるものが「理論」です。

 

しかし情報は、先に入った方があとの情報を規定するものです。

私たちは常に、イメージに惑わされ、情報に踊らされます。

ですから最初に刷り込まれた情報が真理から遠かったとしても、それにすら気がつかずにこの世を去る人間もいるわけです。

生を受けてからの時間経過の途中で目標から逸れてしまいそのまま軌道修正できずに過ごし続ける人、生きる目的を失ってしまう人、他人に言われたことを鵜呑みにしていつの間にか目的がすり替わってしまった人、様々な形で、自分自身の人生と向き合えない人たちがいます。

彼らは、大概なにかしらの理由をつけて、誰かのせいにしたがります。

両親、兄弟、学校の教育、友人、上司、社会、あるいは自分自身の場合もあると思います。他人が存在しなければ自分自身を咎める必要もありませんから、何かのせいにする=何かに依存すると言えます。判断基準が自分のものさしではなく、誰かの何かになっているわけです。

何かに依存する人が増えたのは間違いなく、人災ですが、私たちが目的から逸れるように、そういう概念を悪魔が造ったともいえます。

あらゆる方法、研究、テクニックによって、走っていたレールが横道に逸れるような仕掛けを用意しているわけです。何かに依存することで、思考停止になります。その何かを得るため、その何かを失う恐れが行動の動機となるからです。ほんの小さな恐れでも、それを心根に抱けば、そこから繰り出される人生の動きは、すべてその依存している何かが基準になってしまいます。

 

それでは私たちが恐れを行動動機としない生きる目的とは何でしょうか。

それを学ばせるために、神様は「聖書」を用意してくださったのだと思います。

 

ローマ人への手紙 より引用ここから―――

1:13兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしはほかの異邦人の間で得たように、あなたがたの間でも幾分かの実を得るために、あなたがたの所に行こうとしばしば企てたが、今まで妨げられてきた。

1:14わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。

1:15そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。

1:16わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。

1:17神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。

引用ここまで---

 

皆、悪気があって、憶測でものを言っているのではないと思いますが、情報が飛び交う時代になったことで選ぶ側の疲れが目立つようになったのかもしれません。

何かを判断するのにかける時間、手間、意欲、粘りがすりへってしまっているのです。

皆、忙しすぎるのです。本来の目的を失い、横道に逸れてしまった状態から、元に戻すために使うエネルギーが足りない、不可能だと思っていたりするのでしょう。

そんな状態の人間に対して「私たちは神様の御言葉を成就させるために生きている」なんてことを言えば、頭がおかしい人の扱いを受ける世の中だと思いますが、もし本当にそれがおかしなことだと思いこんでしまっているのであれば、ずっーと解決策のない「なぜ?」、「なぜ?」の迷宮に入り込み、苦しみ続けてしまいます。

聖書を読み、その通りに行動をしたからといって苦しみから解放されることは決してありませんが、そのかわり理不尽な想いに追い立てられる必要性が皆無に等しくなります。かなり厳しいことが書かれていますから、落ち込んだり、これまでの自分では我慢してこなかったことを制していくことになりますからその分、一時的に余裕がなくなってしまう方もいるかもしれません。

しかし、忙しさとは何かを思い出し、本当に自分がやらなければならないことに気がつかされるはずです。

いいえ、自ら気がつきます。止まっていた思考が働き始めるのです。

立ち枯れ病から復活し得るわけです。

 

エフィソの信徒への手紙 「新しい生き方」より引用ここから―――

4:25だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。

4:26怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままではいけません。

4:27悪魔にすきを与えてはなりません。

4:28盗みを働いてはいけません。

4:29悪者は、今から盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。

4:30悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。

4:31神の精霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、精霊により、贖いの日に対して保証されているのです。

4:32無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。

4:33互いに親切にし、憐みの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。

4:34あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。

4:35キリストがわたしたちを愛して、ご自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。

4:36あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。

4:37卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。

4:38すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。

 引用ここまで―――

 

私は聖書は引き算の書だと考えています。

ただ必要なものを列挙し、何でもかんでも”足し算”している人は多いです。

その結果、物事の本質的な問題が見えなくなってしまっています。

それに気がついていない盲人が憶測でものを言うようになるわけです。

とことん無駄をそぎ落とす。

それで、みえてくるものは、いたってシンプルな「問い」です。

その「問い」こそが人類に実りをもたらす種となるのです。 


コメントを残す