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切れ端を集めて事実だけを積み重ねる

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本当に意味のある情報はインターネットで検索しても出てきません。

私たちはそれぞれがもつ切れ端を切れ端のまま扱っていては手遅れになってしまうのかもしれません。

 

私たちは切れ端を集めて、生きています。

 

生まれてから今まで「経験」、「能力」、「勇気」、「健康」、「才能」、「友人」、「情報」といったものを授かり続けています。

大まかにいえば、個人の属性のことでしょうか。

 

若いうちは、その切れ端が必要なものかの判断もつかず拾うことさえしないこともあります。

 

盲目的な側面もあり、ある種の属性に偏った切れ端をひろい続ける人もいれば、人生計画を練った上で選択した切れ端を集める人もいると思います。

 

人生はそう上手くいくものではなくいくつか拾うのをあきらめた切れ端もあるでしょうし、個人によっては相当な努力をしたがどうやっても手にすることが叶わなかった切れ端もあるでしょう。

 

人生の途中でこれまで拾ってきた切れ端がどうしても憎くなり、手放したくなったりもするかもしれません。

 

このように私たちは多かれ少なかれ、それぞれの人生でいくつかの切れ端を手にすることになります。

 

切れ端は切れ端のままですが、ある程度の鍛錬を積むとその切れ端を繋げたり、切れ端を触媒として利用できることが分かるようになっていきます。

 

この段階に入ると、多くの雑念も入ってきます。

 

以前一度手にとりかけた切れ端のことが気になったり、その切れ端を自分のものにする機会があったにも関わらず手にとらなかったことを後悔したり、嘆いたりします。

 

自分が喉から手が出るほど欲しかった切れ端をもっている他人が憎くなったりもする場合もあるかもしれません。

 

そういった雑念にはいくつか弊害がありますが、共通していえる解決策は「事実だけを積み重ねなければならない」ということです。

 

手にできなかったものや上手くいかなかったことを悔やんでもいいけれども、目の前にある事実を認めることしか私たちにはできないからです。

 

もちろん、それぞれの切れ端をそのまま交換することはできません。

 

ですから授けられたいくつかの切れ端をどう扱うかにその人の人生が委ねられているといっても過言ではありません。

 

もし個人に与えられた切れ端だけで不十分だと感じるのであれば、隣人の切れ端と合わせれば良いのです。

 

これは決して容易いことではありませんが、お互いがもっている切れ端を照らし合わせることで、それぞれの人生に「」、「」、「」が投影されるようになっていきます。

 

ひとりひとりが独立した存在であると認識することで生じる本当の信頼関係だと思います。

 

寄りかかりの依存でも、個人の利益の追求でもなく、自分のもっている嘘偽りのない事実に目を向けていきましょう。

 

今年は嘘や隠し事が加速的に暴かれていく年だそうです。

 

私自身、肌で感じている部分もあるので様々な発見があるだろうと感じています。


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