IMG_0445

無知を正当化してはならない。

Posted on

 

無知であることは大きな罪だ。

無知でいることでサタンに付け込まれる隙が生じるからである。
そのような好ましくない状況を放っておくことは、自分のみならず、周りにいる人々、兄弟姉妹たち、中心者に多大な損害をもたらすだろう。

神様が求めている条件は生半可なものではなく、どのような物事でも常に100%完璧な采配をとることだ。

無知でいることは、現実と向き合わないことに等しく、現代人全員に与えられた権利ではないということに気付いて欲しい。

知らないことに臆病でいる姿勢は傲慢であることの現れだ。笑って誤魔化し、赦されることではない。

無知を正当化しようとする自分を認めた時、人は生きることの本当の厳しさを悟るだろう。

それが罪であると悟り、悔い改め、是正に至るならば、幸いである。

正しいことのために苦しむことができるからである。

テモテへの手紙一 1.13-16より引用ここから---

以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。 

そして、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。  

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。  

しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。

引用ここまで---

曲解してはなりませんよ。

無知であることの罪を免れない者は例え老人であろうともいません。

生きることと無知であることとは一対になっているものですが、それを認め、生涯、謙虚な姿勢で学び続けるのならば、義人となることが出来るはずです。

詳しくないことや難しいと感じていること、弱い分野、弱点を他人任せにせずに克服することで、無知と向き合いましょう。

分からないことこそ、その人にとって有益な能力をもたらす機会を授けてくれるものなのです。

 

◯    知らなくてできない人ほど無念な人はいない。


コメントを残す