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無駄をそぎ落とすことを難しいと感じている人へ

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ただ必要なものを列挙し、何でもかんでも”足し算”している人は多い。

その結果、物事の本質的な問題が見えなくなってしまう。

中には意図的に大衆を煙に巻き、見えないようにしている連中もいるがそれだけのせいではない。

知識のばらまきをしている人は他人をごみ箱扱いしてしまっていることを自覚しなくてはならない。

頭の良さは知識が豊富であることを指すのではなく、思慮深く分別のある人間を指している。

では、私たちは何をもってそれを判断するのか?

それは聖書に書かれている。また、それを読解することだけにとらわれず、私たちは日々の実体験を通して、賢くなるチャンスを与えられている。毎日が学びで溢れている。

仮に人間の人生が100年だとすれば、たった100年で出来ることは限られている。そのことに気がつくのに、少なくとも20年はかかると思うし、気がついたとしても計画を練り、行動に反映させていくための準備にもおおよその時間を費やすと思う。

出来ることは限られていると自覚すると、自分が生きる世界の様相がありありと変わってくる。

〇 何も出来ない無能である事を自覚した時、人は強くなれる。

足し算をする前に引き算をしよう。

まずは独断と偏見を捨てなくてはならない。

どんなものに対しても一度は聞く耳をもつ必要がある。この姿勢は大切である。まずは自分が知っていることは多くの人にとって大したことではないことを悟る必要がある。他人が授けてくれる知見を上手く活用することで、2人分の人生を生きることも、3人分の人生を生きることも可能になる。様々な人に利得をもたらす大きな目的を達成するためには1人では時間も能力も足りない。

 

そして、聞いた話が必要であるかないかを分けるには自分がどれだけ世の中について学んでいるかどうかにかかっている。相手が嘘をついていることも、次元の低いことを言っていることもあるからだ。ここでは傲慢を捨てなくてはならない。相手が大したことを言っていなかったとしても、戦ってはならない。この人はまだその程度の次元の人なのだ、本人が自分の力で気がつくまで待とうと心の中で思い、適当に流せばよい。相手と分かりあえないことを嘆くのではなく、現実に示してあげる必要がある。こちらの心体を説き伏せようとしてきた場合はその限りではないが、弱者に手をかざす行為は人生を台無しにしてしまう。 

 

あなたは何を捨てることになるのでしょうか? 

それを常に問わなくてはなりません。

 


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