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狂気の集団の中では正気を保つ人間が狂人になる

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こちらから引用ここから―――

全体主義においては、上から下へといった一方的な権力の行使がなされるのではない。

恐怖を利用した社会運動、大衆運動として現れる。

密告や内部告発が行われ、ガラス張りであることが肯定される。

 

愚民の正義が社会を窮屈なものにしていくわけだ。

 

こうした野蛮を支えるのが、「言葉の破壊」であることをオーウェルは描いた。

 

騙される人間は騙されていることに気づかない。

 

 かれらはアリと同じ、小さなものは見えるが大きなものは見えないのだ。

 そして記憶がおぼつかなくなり、文字記録が偽造されるとき―それが現実のものとなったとき、人間の生活条件はよくなってきたという党の主張を受け容れるしかなくなる。

 その真偽を確かめるために参照すべき基準が存在しないし、二度と存在する可能性すらないのだから。 

 

今の世の中では、人権、自由、平等、友愛といった血なまぐさいい言葉が、まるで人類の理想であるかのように扱われ、テレビや新聞は毎日のように「改革」の必要性を喧伝し、嘘やデマに対して不感症になった人たちが、自分の首を絞める政策を支持している。

 

ネットでは憎悪や悪意が増幅され、自分たちがどこに向かっているかを理解しない人々が、社会を指導していこうと決心する。  

 

われわれの思考の幅は、すでに狭められているのではないか。すでに思考が衰弱しているのではないか。

正気を保っている人間は、時折、錯覚に陥る。

「もしかしたら、おかしくなったのは自分ではないのか?」と。

狂気の集団の中では正気を保つ人間が狂人になる。

ここまで―――

 

生き馬の目を抜くような社会が目の前には広がっています。

 

油断していると、生きている馬の目さえどこかに売り払われてしまうくらいに、油断も隙もないという意味です。

 

天上天唯我独尊の境地に達し、他から信用される、ということではなく自分みずからが「」、「」、「」を己に向かって廻光することで他がどう思うか思わない、信頼されるとか、相愛されるとかいう甘い考え、それを払拭した境地で生きている人でも、思い悩むことがあると思います。

〇 天上天下唯我独尊の境地

 

表面上立派だからといって、その陰まで本物であるとは言い切れません。

 

大手企業、有名所、問題はその場をつくる人間にもあるかもしれません。

見えないところで業界で名士と呼ばれている人、一部の権力を握る人が関わってくるものです。

 

〇 「食材偽装」緊急役員会議 三越伊勢丹そごう・西武髙島屋阪急阪神 近鉄帝国ホテルほか一流企業の迷走と困惑

 

〇 「新製品の虚偽発表」「インド現地法人社長の自殺」ーー内部告発でつぎつぎに闇が明らかになる「損失隠し事件」発覚でも変わらないオリンパスの企業体質

 

〇 内部告発「手抜き工事は旭化成だけじゃない」

 

これらは氷山の一角でしかありません。

むしろ、ニュースになっている程度の問題といってもいいです。

 

大がかりなメディア統制もかかった世界では色眼鏡をつけた情報以外は出回らないのです。

 

しかし、目の前にはいつも出口があり、そこには真実と命があります。

 

そこから目を背け続けていると、欲望と腐敗に取り込まれそうになってしまいますが、私たちには知恵と勇気があります。

 

アリではないのです。

 

真偽を確かめるための参照すべき基準が存在しないのなら、当事者自身がその事実を認め、指摘する勇気を持つことから始まると思います。 

 

流されない意志の力をもって祈り、謳いつづけましょう。


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