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神様のために働くことができる喜び。

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仕事があることはとても嬉しいことです。

職人にとって、安息日を除いて休みがあるのは、耐え難い苦痛以外の何ものでもありません。

仕事が与えられてこそ、私たちは職人でいられるからです。
堅固な家をつくるという目標をもって臨むからこそ、職人とならなければならないのだと至誠を保つことができるのです。

一方で家造りの職人が畑を耕すことは、収入を得ないことから娯楽であり、無意味な時間となるでしょうか。

また音楽をつくり楽しむことは、ただの趣味であって、その人に必要のないことなのでしょうか。

いいえ、それは違います。

畑を耕し、種をまき、丹念に世話をすれば、実は色づき、時が来れば食物を手にするでしょう。そのことによって私は、これは主からの恵みだ、と思うのではないでしょうか。

また、音楽をつくり、新たな文化芸術の世界を開き、世に刺激や美しさをもたらすのなら、神様がよいことにお使いになるでしょう。
そのことによって私は、これは主がもたらした祝福だ、と思うのではないでしょうか。

私たち信仰者は神様の栄光を示すために、所作を行なっているのです。

それを肝に命じて働くなら、どんなことでも立派な仕事となるのです。

収入を得るものを世の中では仕事と表現するそうですが、仕事とは悟りを得るために世に働きかけることを言うのではないでしょうか。

私たちは常々、よく働くための機会を授かっています。

その機会を逃すことがないよう、互いに祈り求めあいましょう。

生活のための最低限の収入を得ることは大事なことではありますが、主のために懸命に働くならば、何らかの形で整えて下さいます。

信仰をもちだした私が大工を始めたように、きっと世で食べるのには困らないように準備をして下さるでしょう。

しかし、安息日には世の食べ物のために働くことはやめて、主の言葉に耳を傾けなくてはなりません。

私たちの命は肉の食べ物だけによって生かされているのではないのですから、このことは忘れてはなりません。

マタイによる福音書4章4節より引用ここから---

「イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。 」

引用ここまで---

ヨハネによる福音書6.35より引用ここから---

「イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。」

引用ここまで---

このようにして、神様のために働く喜びを知った者は幸いなのです。

全知全能でいつも遍在なさる神様、どうか、私たちに、神様の道をより正確に知るための知恵と啓示の御霊をお授け下さい。

また、私たちの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものかをお示し下さい。

皆さんに神様からの祝福がありますように。


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