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私たちは命の水である。

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悪霊、サタンの共通点は、弱い者いじめをすることだ。

彼らは本能的に、従順で自分より弱い者を見つける能力を持っている。
弱っている動物の周りで、いつ飛びかかろうかとチャンスをうかがっているハイエナのようなものだ。
 
ここではあなたの心構えの問題を考えよう。とにかくあなたが強くなることだ。

では強いとはどういうことか。

水ほど弱いものはないが、水ほど強いものもない。

老子は「天下水より柔弱なるはなし。しかも堅強を攻むる者、これによく勝るなし」と言う。

水ほど弱いものはないけれども、一番強い者に対抗するのに水ほど強いものはないと言う意味である。

弱い者ほど強いのである。

水のように低きを流れ、出しゃばらず、謙虚でいればよい。

そしてもし悪人から攻撃を受けたら、一気に、津波のように、怒濤の攻撃をすればよいというのだろう。

実際、謙虚で、目立たない生き方をしている者に、悪い考えをもつ者が攻撃をしかけた際、思いがけない反撃を受けたら、それ以降はその善人を警戒するということがある。

弱いと見せかけながら、隙を見せないのがよいわけだ。
実はサタンは隙がある者にしか入り込めない特性をもっている。

隙を見せないためにはうそをついたり、ごまかしたりしてはいけない。
これは絶対に大事なことだ。
このことで主の信頼を得られるだろう。

また、どんなに嫌な顔をされたり、怒鳴られたりしても、言うべきことは言うべきだ。
諫めるべきは諫めるという態度だ。
いっ時の情に流されるのではなく、長上に対しても諫言するのが信仰をもつ者の姿勢である。

 
私たちは知恵をもった命の水であることを自覚せねばならない。

変幻自在に形をかえ、攻撃も防御も自由自在だ。

不安や悩みに溺れることがなく、倦怠感に溺れる者を助ける気概を持ち合わせている。

この世に命の水をもたらし、決して飢えを知ることがない。

水でありながら、その味は人によって様々であり、低きを流れながら、その水は天上へ運ばれていく。

それは、やがて救いの雨をもたらすであろう。
悪い者たちは洪水に飲み込まれ、もくずとなるであろう。

主の涙を知る者は幸いである。

その涙によって、罪が露わになった時、私たちは二つに分けられる。

生きる者と死ぬ者とに。

私たちは知恵をもった命の水であることを肝にめいじなさい。

そうすれば一旦緩急あればただちに対応できる態勢を整えることができるようになるのだ。  

 

ヨハネによる福音書 4:10より引用ここから---

わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」 

引用ここまで---    

 

ヨハネによる福音書19章32-36引用ここから---

兵卒らがきて、イエスと一緒に十字架につけられた初めの者と、もうひとりの者との足を折った。 

しかし、彼らがイエスのところにきた時、イエスはもう死んでおられたのを見て、その足を折ることはしなかった。 

しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た。 

それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたがたも信ずるようになるためである。  

これらのことが起ったのは、「その骨はくだかれないであろう」との聖書の言葉が、成就するためである。  

引用ここまで--- 

 

詩篇  93章より引用ここから---  

主よ、大水は声をあげました。大水はその声をあげました。大水はそのとどろく声をあげます。 

 引用ここまで--- 


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